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八達嶺長城に個人旅行で行って、何か修復しすぎなのか作り物感のある観光地部分を端まで歩いて、その先に未修復部分を自分の目で見たときはとても感動した。
万里の長城が王朝毎に造営部が違う。のは知っていたけれど、その背景や建設思想などを通して見る事が出来たのは大変勉強になりました。感慨ひとしおです。
とにかく巧みで面白い。水準が高く飽きさせないし集中して見るのに丁度良い長さ笑いを取ることを忘れずにちゃんと引っ掛けてくすぐるようつべで1番プロ意識が高い
いつもやる気注入して下さって只々感謝……!
万里の長城の観光客が凍死でなくなってたりするのを思うと、敵の襲来におびえつつ建築していくのは過酷だっただろうなぁ
土曜の夜にお酒を飲みながら鳥人間さんの新着動画を見る幸せ…♡一つの物事に対して多方面からの情報をまとめ更に面白く構成してて頂けるので本当に30分などあっという間ですこれからも楽しみにしてますね!!!鳥人間さんの動画の大ファンです!!!
有り難きお言葉とご厚意……!大変感謝しております!!これからも楽しい楽しい中国史の時間をお届けできるよう全力で動画を作っていきますので、ご期待ください!!
マニアックで面白いです。
ありがとうございます!!ご支援感謝感激ィ!!
ありがとうございます!
いつも応援していただき、有り難きことこの上ありません……!益々精進していきますので、ぜひご期待ください……!!
司馬遷先生の蒙恬評。厳しいけど納得の内容。「地脈のせいにするんじゃない」とか古代人とは思えない合理的な考えの持ち主だと思う。
中国史を語る上で外せない長城の解説ありがとうございます!さらには長城の知られざる機能についても解説くださるとは何とありがたい。また宴を開かねばなりませんな。今日は長城を意識した平麺パーティーといこうではありませんか!こちらの平麺、一本あたり幅五センチ、長さ三メートルにてございます。辛めの味付けに羊肉を盛り付けました。さあさあ、替え玉無料ですぞ!え?麺から鼻が出てきた?おめでとうございます!そちらは腰斬マンこと李斯の鼻でございます。それを引き当てた幸運な方には趙高の頭蓋杯にてボジョレーヌーヴォーが無料で一杯ついてきます。また、麺にはこのように凌遅刑にて処刑された者の体の一部がある場合がございます。そちらを引き当てた方は、悪辣宦官の頭蓋杯に注がれたボジョレーヌーヴォーが一杯無料!さあ振るってご参加あれ!
いつもご支援いただき、まことにありがとうございます……!いつにも増しておどろおどろしさマシマシのご馳走……失神しそうです……!!
Thanks!
いつもご支援いただき、感謝感激です!いただいたご厚意を糧にこれからも頑張ります!!
ほかの解説系では聞けない視点!今回も素晴らしい解説ありがとうございます!
八達嶺の長城行った事あるけど、上りと下りの通行人が狭い長城通路で譲り合わずデッドロックしてるの見てこうやって遊牧騎馬民族の侵攻防ぐんだなと感心した記憶がある
こういう大規模土木工事については、比較的労務者側の視点で見ることの多い私には、やはり工事の不当な厳しさがささりますね(孟姜女の話のような形で伝承されているのにも注目です)。が、当時北方の騎馬民族が相当な脅威だったことも理解はできます(蒙恬の少し後に、あの冒頓単于が匈奴に登場しますし)。そして城壁の中から労務者の遺体が出てくるくだりで赫連勃勃を想起される方、私以外にもおられました!
敦煌を越えて続いているって話も聞いてるからその西の端はどこまであったんだろうな。夷狄に対する物でなく、交易に利用されたという説もあるから、研究次第では新説が生まれそう。こういう中華の建設・建築の解説も増やしてほしい。
万里の長城とは「秦を滅ぼす者は胡なり」との預言を真に受けた始皇帝が蒙恬将軍に築かせた。…そんなふうに考えていた時期が私にもありました。
国を守る為に作ったのに、国民を死ぬほど苦しめ、大暴動が起こって、国が滅びる原因になるとは。
長城は八達嶺の復元された箇所から徐々に整備されている箇所を辿って、そしてついには風化してただの小さな丘になってしまった箇所を巡るのが、悠久な歴史の流れと重みを体感できる一番の醍醐味だと考えている。なかなか難しいけどね。個人的にキレイに修復された八達嶺よりもそういった風化してしまった箇所のほうが好き
しかし、所々現代のコンクリートで雑に修復されていたり、一部のレンガを盗まれていたりと悲しい部分もある…
サムネの長城手前の霊夢と画面奥にいる魔理沙かわいいな!長年何か地図見て「なんかあるな…」くらいに思ってた南方の長城まで詳しく解説、ためになりました。相変わらず最初から最後まで中身たっぷりでありがとうございます!
小学生の頃、万里の長城を「城」と名付けていたのにずっと違和感をもっていました大人になって中国人の知り合いに聞いてみると「日本の城はお殿様の居城を指すが中国語の城は城壁の意味に近い」と聞いて納得しましたそれに日本は「城下町」という言葉があるように居城の下に町が広がってますが中国は多くの場合は町ごと城壁で囲って巨大な「城」になってることが多いですね
十字軍国家なんかの城塞都市もこれと同じで、基本的に大陸での戦争って民族浄化を多分に含むのでこれしかないんですよね
まぁ、住民みなころしの軍隊もいるし、、
ブルクやグラード(ルクセンブルクやレニングラードなど)は城壁の意味がありますね。
異世界転生モノで絶対見るアレか…(´・ω・`)
中国的城分为几个部分,以老北京城举例,由内到外:1.宫城(即皇居和朝会之地,百姓不能进入)2.宫城城墙3.皇城(提供皇宫的生活服务和拱卫皇宫的重要屏障、行政机构所在地,百姓不能进入)4.皇城墙5.内城(明朝百官及平民和皇亲国戚、清朝八旗居住之地)6.内城墙7.外城(平民居住之地)8.外城墙几乎中国古代所有城市都是这样的布局
たぶんyoutubeでこれだけ万里の長城について掘り下げたチャンネルはないと思います。大変面白かったです。特に秦時代に建設従事した人々の過酷な労働についての一点ばかりが強調されがちですが、中国という国の構造を考えると、必要であり効果もあった事は忘れてはいけないと思いますね。
技術者も大勢参加したんだろうけど彼ら視点の意見も聞いてみたいもんですね
万里の長城は、蒼天航路で曹操が「始皇帝が自分の支配力の限界を認めた証」とボロクソに言っていたのが印象に残っています。。元々は領土拡大の為のものだったわけですね!
4:11 左氏伝を訓読みするの斬新過ぎて爆笑した万里の長城の建築って負の側面もあるけど、歴代王朝のほとんどが長城を境に領土防衛を行なっているのを考えると非常に偉大な業績だと思う
興味深い
いつもご支援いただき、ありがとうございます!お楽しみいただけたのならこれ以上無い幸いです!!
めちゃくちゃ面白かったですまたいつか、始皇帝の嶺南遠征についても動画を見てみたいです何故か超一大プロジェクトだったのにあまり語られていないように思います
楚の方城、用途が理解できて良かった
4回ぐらい行ったことあるけど、こんな壁を突破してくる騎馬民族怖すぎるという感想しか出てこない
騎馬遊牧民には何とも無いんですよ、城(壁)なんて。
長城の用途が防衛だけではなく、戦略的な面も有ったのは面白い
教科書の地図の長城が南に伸びていたのがずっと不思議でしたがやっと謎が解けましたありがとうございました
楚の長城とか初めて知りました。いい動画です☆
丁度別の某チャンネルでも触れられてたワシントンやマリー・アントワネットのアレコレも合わせて、やっぱりその人が周りから持たれるイメージって後々大事になるんやなって(孟姜女伝説を見ながら)もっとも始皇帝、諡号の廃止までやってるし、多分最初からそういうのを気に留めるつもりがなかったんだろうけど
動画アップお疲れ様です
留学してた頃、秦皇島•老龍頭まで歩いたなぁ。 漫画「蒼天航路」だと、「長城とは、始皇帝が自らの力を誇るものであると同時に、これ以上は自分の力が及ばぬと認めた境界でもある」みたいなことを曹操が言ってて、なるほどと思ったんだけど、そうか。より攻撃的に前線を展開するためのガードラインって考えもあるのか。 目から鱗でした。
何で春秋戦国時代の斉やその他の異民族とは接しない国々に長城が築かれていたのかが分かりことができて面白かったです。ちなみに学生時代の修学旅行で明朝の長城・八達嶺に行って登って来ましたw
その後の楚漢戦争のインパクトの大きさもあって、数多の巨大な綺羅星が現出するこの時代にこれほどの大事業を一代で推し進める始皇帝もまた巨大すぎる星の一つであることがわかりますね(二世皇帝からは目を背けつつ)。
4:11 ひだりうじつたう!?今回は珍しく限定動画のような回でしたね。死ぬまでに一度は生で見てみたいなぁ…。
国家規模の大事業て技術の発展にも多大な影響あるんだろうな重機も通信機器も充実してる現代でも気が遠くなる作業だ
中華の領域を可視化 シンボルとしての境。後世になると実戦的な要塞線。時代と共に変わり続けたのかな長城は
5:20 マジノ線「そうね…機能すれば強いんだけどね…」
始皇帝の長城、視点が面白い。
面白かった〜!流石です。よく調べられていますね。私達も勉強になります。万里の長城が、楚の国にもあった!初めて知りました。長城の見方が変わりました。凄い。また面白い動画楽しみにしています。
前王朝を悪し様に書かないといけないのは司馬遷も例外ではないので、始皇帝の評価がボロクソなのはむしろ当然なんだよねえ。司馬遷が名君扱いしてる文帝や恵帝も万里の長城を補修してるけどそっちは否定していない。
楊家将の楊業の紹介も見てみたいです。
9:28 常紋トンネル:.......つい100年前、日本での出来事。人間は理では測りきれないところがありますよね。
(人)資源の囲い込みの意味合いも強かったんだろうと思った後漢時代で顕著になった北方民族の定住ですがおそらく昔から行われていた可能性が高い
こんな長城を建設できるのは、石材が豊富な大陸ならではですよね。日本だとそんなに確保できないので、石垣に古墳の石棺を再利用したりしていましたから。
第2回十字軍では、エジプトに攻めてきた十字軍を、イスラム側の王サラディンはピラミッドの石を一部使って城壁造ってますよ。
@@FREEDOM-vv3wu まあ、それは敵が目の前に迫っていたら死に物狂いになるでしょうからね…ローマのコロッセオも石材場のように扱われていた時期があったそうですし。後世の人間からすれば「何てことを!」と言いたくなりますがね。
八ヶ岳連峰の八竜長城も、遊牧騎馬民族の侵略を想定して建築された可能性が微レ存.....?
のっけから「???」でしたが、気付いた瞬間に「ベンリィかあっ!」と声に出してしまった。芸が細かい!
キングダムの雁門が意外と内側だった
版築工法でも2000年残るの凄い
いくら造っても、戎狄は超えてくるという。まさにいたちごっこ。
最近、万里の長城を重機で勝手に破壊して道路を作った男女が逮捕されましたね
中国の長城の主旨は新領土獲得の為の長城なのですね…すると現在イメージされる「外敵からの領土防衛」に主眼を置いた長城はむしろローマ帝国以来の欧州で作られたものの方が近いのかも知れませんね(ブリテンのハドリアヌス帝の壁を始めとしたリーメスとかペロポネソス半島のヘキサミリオンの壁とか)
それこそテオドシウスの城壁とかね千年に渡ってコンスタンティノポリスを護り続け、15世紀に入っても一回オスマン朝を退けた上に、1453の帝都陥落の際も所謂オスマン艦隊の山越えが要因で城壁自体が破られた訳ではないという…
@@Michaelviii288 この前、度重なる自己研鑽の後の賢者の刻にテオドシウスの城壁調べてたんやが、所謂ビザンツ帝国が城門の鍵の閉め忘れで滅んだ説は、どの城門か特定出来てない上に資料での言及が極端に少なくて作り話説まであるらしいな
@@ヨーク公リチャードプランタジネット 賢 者 の 刻 ()
個人的には金角湾からGoはどちらかというと4回十字軍、ラテン帝国建国時の時のイメージが強かったですね…小門の件、トルコ語wikiには旗立てた人の名前まで書いてある(勿論伝説として)んですよね。真実如何に関わらず人気な逸話として(「薔薇」戦争と同じ様に)残っていくのでしょうね…ちなみに市壁は中国の方が寧ろ盛んまであるので敢えて除外していたりして。西安とか凄いですから
@@Michaelviii288オスマン トルコは大砲でコンスタンティノープルを占領しました. 皮肉なことに、明王朝はオランダ人が導入した大砲を満州人を守るために使用しましたが、ウーシャンギが清王朝に降伏したとき、彼は満州人に城池を攻撃するための大砲技術を与えました.
まさか21世紀に入って内側から破壊されるとは思わんかった
「秦を滅ぼす者は胡ならん」これを聞いた始皇帝は万里の長城の増築と強化を命じた。「始皇死して地分かれん」これを聞いた始皇帝は、秦帝国の繁栄を永遠の物にする為に不老不死を望んだ。始皇帝が不老不死を願っていると知った徐福は「ならば、私が仙人の住む蓬莱に行って不老不死の薬を手に入れて来ましょう」と言って、宝物と作物(米を含む)の種子と少年少女(およそ千人)と豪華な船を騙し取った。
宇宙から見える唯一の人工物というロマンを信じていたので、そうではないという真実はわりとショックだった。しかし、中枢地域を固めるためのものだったという説はそのショックを超える興味深さがあった。それはさておき、冒頭の顔写真は海江田万里氏か、あいかわらず、ひねりが効きすぎている
一番乗り。現在の万里の長城は明代のもので、秦代のものより大分南に位置するし、サイズも短い感がある。廃止しなかったのだからモンゴルや女真族を防ぐためにある程度は機能しただろうが、コストも馬鹿にならなかったことも大きな原因の一つだろう。
「長城」は、欧州の言語では、英語のGreat Wallなどのように「大きな壁」や、ラテン語のMurus Sinicusなどのように「中国の壁」を意味する名前で呼ばれる。一方で、モンゴル語と満洲語では「長城」は、「白い壁」を意味する名前で呼ばれる。欧州の言語における「長城」の呼び名は、「長城」が中国を象徴する大きな壁であることに由来するのだが、モンゴル語と満洲語における「白い壁」という呼び名の由来は、何だろう。
遊牧民が城壁を突破できないことを利用して気づかせたのは分かるけど…、実際かなり突破されているだろうな。特にチンギスハーン以降はエセンハーンやアルタンハーン何かが長城を突破してるし…。特に清王朝の頃はモンゴル高原を丸ごと支配したから、長城が整備されなくなったと聞くし…。でも今日観光地として栄えているから、やっぱり役に立っているはずだ!0:22 因みにgoogleで拡大すれば(何とか)見えるから、ギリギリ宇宙から見えるという表現は正しい!
明代の長城である八達嶺と山海関を1988年に訪れたことがある。
斉の長城が領内に入り込んでいるのは、建造開始当時の国境に沿っているからではないでしょうか。完成時には孫臏の活躍もあってか南部へ拡張したものの、建造を始める200年前は羊頭狗肉で知られる霊公の統治下にあった斉は晋と諸侯連合にフルボッコにされ臨淄陥落寸前まで追い込まれています。
今回も動画を閲覧した者です。 今回は、中国の歴史の定番である【万里の長城】ですね。 平成3年にTBSで放送されたドキュメンタリー番組【萬里の長城】で、旅人である俳優の緒形拳さんが明代を中心に解説していましたが、今回の動画では近年の学説を中心に解説していたところは、とても勉強になりました。 春秋・戦国時代の長城が単に守るだけの防御ではなく、長城を起点として隣国への進攻という積極的防御として利用していた点は、面白く視聴しました。 あと【孟姜女】伝説が、秦ではなく斉の話だったところは、驚きました。 あの伝説、秦の話で通説になっており、【萬里の長城】でもその様に解説していたので、今回の解説は自分にとっては、パラダイムシフトでした。 しかし長城建設は莫大なコストが掛かり、これが各王朝にとっては負担であったと思いますが、それだけ北方の遊牧騎馬民族が脅威であったことを、今に伝えているのではないでしょうか。 今は全体の9割が破損し、1割が観光地【或いは復元中】となっている状態ですが、一度でも良いので、見に行きたいものですね。 まだまだ寒い時期ですが、投稿者さんにおかれましては、健康とメンタルに気をつけていただければ、幸いです。 話が長くなりましたので、ここで筆を置きます。
万里の長城…勉強になります。「『万里の長城』は役に立ったのぉ~?」は「一応…明清攻防戦で役に立ったから」と言えますが、欧州版『万里の長城』=マジノラインは全く役立ってないです(汗しかも砲撃に耐える様に“メッチャ頑丈”に作った為、戦後解体もままならず“観光地”となっているとか。…この“観光地”化は東西『同じオチ』だった様で(汗
孟姜女の話は李白の詩にも詠われていますね。結末を知るとなおさら悲しい
秦の時代は今よりも暖かかったのかな?
孟姜女の話は、前550年に斉の大夫、杞梁が戦死した知らせを聞いて、妻の孟姜が嘆き悲しんだ話を改編したもので、まるで関係ないです。杞梁は、『東周英雄伝』の壮絶三勇士の一人です。杞梁の墓は長らく存在したのですが、1967年(恐らく文革)に更地にされました。
鳥人間さんのマニアック解説にニヤニヤしながら聴き通しました
ひだりうちつたう で吹いた
インディージョーンズの元ネタこれだったんか勉強になる
異民族との戦いの歴史も語って欲しいですね
秦の長城は騎馬民族に対して自軍が敗れた時に追撃されない為の馬防柵や拒馬の役目なのかしら?
oqu
孟姜女の話、「孟も姜も姓であって名前じゃねーだろ。ちゃんと考えて設定したのか(意訳」という的確なツッコミを見たことあります。
すばらしい。
Googleアースだとどんな感じかな迂闊にも初恋の人実家は見に行ったのに万里の長城に行くの忘れてたちょっと見に行って来ます
私が疑問なのは、悲惨な労働者の伝説が残る秦の長上よりはるかに堅牢で立派である明代の長上建設について、その労働環境が悲惨であったという話をあまり聞かないことです。明朝は労働者や刑徒を酷使しなくとも土木工事を行うシステムが完成していたのでしょうか??明朝の長城についても動画で取り上げてほしいです!!
此の万里の長城は突厥が攻めて来るのを楊堅が見て、万里の長城の防御を強化したと言ってました。
やっぱ秦の始皇帝って良くも悪くも偉大だったんだなぁ…遷ちゃんの言うこともよく分かるけども、隋の大運河みたいに中国史上の偉業であるのもまた事実劉某さん「ファッ‼︎‼︎ワイの統万城の強度はガバガバだった…⁇??」
「宇宙から観測される唯一の人工物」というのは本当なんだろうか
普通に観測できないと思う
うおおおおー。これがあの・・李牧の長城か🐻
観光地化された明代の八達嶺よりも、斉、楚、秦漢時代の長城の方がリアルで趣もあっていいです、見てみたいですなぁ。まぁ、習王朝に行くつもりはないですが。
9:15 赫連勃勃「えっ」
いつか万里の長城を観に行きたいです
こんなに長城があるという事はどんだけ戦乱が多かったかゆうことですよねモーキョージョみたいな例も全然珍しくなさそうしゅんじゅうひだりうじつたう派はかしこいな
加えて戎狄、夷狄(じゅうてき、いてき。異民族の事)からの侵略も防がなくてはならないのでまさに四面楚歌?な時代でもありますよ。
要塞線と言うよりは警戒線(ピケットライン)というか国境警備隊の詰所を線で繋いだものみたいな印象の方が正しいと思うんだよねおおよそ長城システムというものは狼煙が視認できる間隔(3キロくらい)ごとに兵士十人くらいが詰められる小さい砦があって、敵が来ると狼煙で両隣の砦に伝えるというもの。武帝期には4000キロ以上もそんな通信ラインがわけだから凄いよね。んできっと長城線だけでは機能しなくて、スパイとか外交ルートとか商人の情報とか騎馬偵察を合わせた複合警戒・防御システムだったんだろうなぁふと思うけど望遠鏡(14世紀)とか腕木通信(18世紀)とかが長城システムに導入されてたらどうなってたんだろうね?少なくとも砦の間隔は広くなって効率的に防衛ができたんではなかろうか、なんてね
実際のところ長城は北方騎馬民族に対して軍事的に効果を発揮したのでしょうか?敵は馬を大量に保有しているので万里のどこへも移動でき、防備の薄い地点を一点集中で突破するのは簡単だと思います。破壊した壁から馬を通す間に中国側がそれを包囲するだけの軍を集結できるとは到底思えないので、結局国土を荒らされるのは避けられないのでは?
長城の東は山海関と呼ばれる。華北と満州を分ける所。この東の満州に展開したから関東軍と呼ばれる。
楽毅「こんな要塞な、迂回するんやで」ヒトラー「そりゃそうだな」乃木「お前ら楽でいいな」
気になって調べたら名字に長城(ながき、ながしろ)ってあるんだね。名前が万理(まり・ばんり)だったらいじられまくるだろうな。
魔理沙さんを見ていたら、中華料理食べたくなってきた…。
9:20 赫連勃勃の統万城...
秦の時代の万里の長城は盛り土みたいなものだと世界史の授業で習ったな🤔
万里の長城には、農民の逃散を防ぐ意味合いもあったと、蒋介石のアドバイザーのオーウェンラティモアが書いていた気がします。南方の雲南にも長城があるみたいです
なんか現代の国防問題にも通ずるところがある話ですね。
モンゴルや女真族からの防衛に対してどう上手く機能していたかも掘り下げてほしかった。朝鮮をあっさり屈服させた女真族が正攻法では破れなかったというのに>万里の長城
明と清の最初の方では役に立っていたんだよなあ😅あと実際に万里の長城に行った事あるけどあんな急峻な山々にあの規模の大要塞線作った中国の技術力と底力は物凄いと思った😄
唐とか宋とか出自が異民族っぽい王朝、元とか清とかガチの異民族王朝は、長城を作らないんだな。(金は作ってたみたいだけど、モンゴルの脅威がシャレにならなかったからだろう。)
鮮卑族の北魏も長城を築いています。また宋の場合は五代の後晋が後唐を倒す為に契丹から援軍してもらう見返りに現代の北京付近の燕雲十六州を割譲したせいで、長城線が建国当初から契丹の支配下にあったので作りようがありませんでした。
万里の長城の番組がNHKで放送していたなロングランシリーズで中国各地で撮影をしていた
万里の長城3910円シャトルバスケーブルカーポストカードチケット込み結構早く閉まるみたいだな
「辺境」と「本土」を分ける、というか、「内側の世界」と「外側の世界」を分ける観念的な境界線の実体化が長城なのだろうか、と思った中国における「城」に関しても、その内部に都市圏を含んでいるわけだから、それはつまり「都市(日常世界)」と「辺境(非日常世界)」を区別する境界線として機能していたのではなかろうか、となると長城というのはその観念を中国全土にまで広げ、中国を「本土(日常世界)」と「辺境(非日常世界、しばしば異民族や外国との接触がある)」に分けるものであったのかな、と
万里の長城は古代中国の壮大さを体現している
野末陳平が著作・姓名判断の中で、始皇帝が「秦を滅ぼすは胡ならんか」という占いの為に長城を作ったけど、胡とは子供の胡亥のことだったと書いてたな。
八達嶺長城に個人旅行で行って、何か修復しすぎなのか作り物感のある観光地部分を端まで歩いて、その先に未修復部分を自分の目で見たときはとても感動した。
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感慨ひとしおです。
とにかく巧みで面白い。
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笑いを取ることを忘れずに
ちゃんと引っ掛けてくすぐる
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マニアックで面白いです。
ありがとうございます!!
ご支援感謝感激ィ!!
ありがとうございます!
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司馬遷先生の蒙恬評。厳しいけど納得の内容。
「地脈のせいにするんじゃない」とか
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中国史を語る上で外せない長城の解説ありがとうございます!さらには長城の知られざる機能についても解説くださるとは何とありがたい。また宴を開かねばなりませんな。今日は長城を意識した平麺パーティーといこうではありませんか!こちらの平麺、一本あたり幅五センチ、長さ三メートルにてございます。辛めの味付けに羊肉を盛り付けました。さあさあ、替え玉無料ですぞ!
え?麺から鼻が出てきた?おめでとうございます!そちらは腰斬マンこと李斯の鼻でございます。それを引き当てた幸運な方には趙高の頭蓋杯にてボジョレーヌーヴォーが無料で一杯ついてきます。また、麺にはこのように凌遅刑にて処刑された者の体の一部がある場合がございます。そちらを引き当てた方は、悪辣宦官の頭蓋杯に注がれたボジョレーヌーヴォーが一杯無料!さあ振るってご参加あれ!
いつもご支援いただき、まことにありがとうございます……!
いつにも増しておどろおどろしさマシマシのご馳走……失神しそうです……!!
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いただいたご厚意を糧にこれからも頑張ります!!
ほかの解説系では聞けない視点!
今回も素晴らしい解説ありがとうございます!
八達嶺の長城行った事あるけど、上りと下りの通行人が狭い長城通路で譲り合わずデッドロックしてるの見てこうやって遊牧騎馬民族の侵攻防ぐんだなと感心した記憶がある
こういう大規模土木工事については、比較的労務者側の視点で見ることの多い私には、やはり工事の不当な厳しさがささりますね(孟姜女の話のような形で伝承されているのにも注目です)。が、当時北方の騎馬民族が相当な脅威だったことも理解はできます(蒙恬の少し後に、あの冒頓単于が匈奴に登場しますし)。そして城壁の中から労務者の遺体が出てくるくだりで赫連勃勃を想起される方、私以外にもおられました!
敦煌を越えて続いているって話も聞いてるからその西の端はどこまであったんだろうな。夷狄に対する物でなく、交易に利用されたという説もあるから、研究次第では新説が生まれそう。こういう中華の建設・建築の解説も増やしてほしい。
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国を守る為に作ったのに、国民を死ぬほど苦しめ、大暴動が起こって、国が滅びる原因になるとは。
長城は八達嶺の復元された箇所から徐々に整備されている箇所を辿って、そしてついには風化してただの小さな丘になってしまった箇所を巡るのが、悠久な歴史の流れと重みを体感できる一番の醍醐味だと考えている。なかなか難しいけどね。個人的にキレイに修復された八達嶺よりもそういった風化してしまった箇所のほうが好き
しかし、所々現代のコンクリートで雑に修復されていたり、一部のレンガを盗まれていたりと悲しい部分もある…
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長年何か地図見て「なんかあるな…」くらいに思ってた南方の長城まで詳しく解説、ためになりました。
相変わらず最初から最後まで中身たっぷりでありがとうございます!
小学生の頃、万里の長城を「城」と名付けていたのにずっと違和感をもっていました
大人になって中国人の知り合いに聞いてみると「日本の城はお殿様の居城を指すが中国語の城は城壁の意味に近い」と聞いて納得しました
それに日本は「城下町」という言葉があるように居城の下に町が広がってますが中国は多くの場合は町ごと城壁で囲って巨大な「城」になってることが多いですね
十字軍国家なんかの城塞都市もこれと同じで、基本的に大陸での戦争って民族浄化を多分に含むのでこれしかないんですよね
まぁ、住民みなころしの軍隊もいるし、、
ブルクやグラード(ルクセンブルクやレニングラードなど)は城壁の意味がありますね。
異世界転生モノで絶対見るアレか…(´・ω・`)
中国的城分为几个部分,以老北京城举例,由内到外:
1.宫城(即皇居和朝会之地,百姓不能进入)
2.宫城城墙
3.皇城(提供皇宫的生活服务和拱卫皇宫的重要屏障、行政机构所在地,百姓不能进入)
4.皇城墙
5.内城(明朝百官及平民和皇亲国戚、清朝八旗居住之地)
6.内城墙
7.外城(平民居住之地)
8.外城墙
几乎中国古代所有城市都是这样的布局
たぶんyoutubeでこれだけ万里の長城について掘り下げたチャンネルはないと思います。大変面白かったです。
特に秦時代に建設従事した人々の過酷な労働についての一点ばかりが強調されがちですが、中国という国の構造を考えると、必要であり効果もあった事は忘れてはいけないと思いますね。
技術者も大勢参加したんだろうけど彼ら視点の意見も聞いてみたいもんですね
万里の長城は、蒼天航路で曹操が「始皇帝が自分の支配力の限界を認めた証」とボロクソに言っていたのが印象に残っています。。元々は領土拡大の為のものだったわけですね!
4:11 左氏伝を訓読みするの斬新過ぎて爆笑した
万里の長城の建築って負の側面もあるけど、歴代王朝のほとんどが長城を境に領土防衛を行なっているのを考えると非常に偉大な業績だと思う
興味深い
いつもご支援いただき、ありがとうございます!
お楽しみいただけたのならこれ以上無い幸いです!!
めちゃくちゃ面白かったです
またいつか、始皇帝の嶺南遠征についても
動画を見てみたいです
何故か超一大プロジェクトだったのにあまり語られていないように思います
楚の方城、用途が理解できて良かった
4回ぐらい行ったことあるけど、こんな壁を突破してくる騎馬民族怖すぎるという感想しか出てこない
騎馬遊牧民には何とも無いんですよ、城(壁)なんて。
長城の用途が防衛だけではなく、戦略的な面も有ったのは面白い
教科書の地図の長城が南に伸びていたのがずっと不思議でしたが
やっと謎が解けました
ありがとうございました
楚の長城とか初めて知りました。いい動画です☆
丁度別の某チャンネルでも触れられてたワシントンやマリー・アントワネットのアレコレも合わせて、
やっぱりその人が周りから持たれるイメージって後々大事になるんやなって(孟姜女伝説を見ながら)
もっとも始皇帝、諡号の廃止までやってるし、多分最初からそういうのを気に留めるつもりがなかったんだろうけど
動画アップお疲れ様です
留学してた頃、秦皇島•老龍頭まで歩いたなぁ。
漫画「蒼天航路」だと、
「長城とは、始皇帝が自らの力を誇るものであると同時に、これ以上は自分の力が及ばぬと認めた境界でもある」みたいなことを曹操が言ってて、なるほどと思ったんだけど、そうか。
より攻撃的に前線を展開するためのガードラインって考えもあるのか。
目から鱗でした。
何で春秋戦国時代の斉やその他の異民族とは接しない国々に長城が築かれていたのかが分かりことができて面白かったです。ちなみに学生時代の修学旅行で明朝の長城・八達嶺に行って登って来ましたw
その後の楚漢戦争のインパクトの大きさもあって、数多の巨大な綺羅星が現出するこの時代にこれほどの大事業を一代で推し進める始皇帝もまた巨大すぎる星の一つであることがわかりますね(二世皇帝からは目を背けつつ)。
4:11 ひだりうじつたう!?
今回は珍しく限定動画のような回でしたね。死ぬまでに一度は生で見てみたいなぁ…。
国家規模の大事業て技術の発展にも多大な影響あるんだろうな
重機も通信機器も充実してる現代でも気が遠くなる作業だ
中華の領域を可視化 シンボルとしての境。後世になると実戦的な要塞線。時代と共に変わり続けたのかな長城は
5:20 マジノ線「そうね…機能すれば強いんだけどね…」
始皇帝の長城、視点が面白い。
面白かった〜!
流石です。よく調べられていますね。私達も勉強になります。
万里の長城が、楚の国にもあった!初めて知りました。長城の見方が変わりました。凄い。
また面白い動画楽しみにしています。
前王朝を悪し様に書かないといけないのは司馬遷も例外ではないので、始皇帝の評価がボロクソなのはむしろ当然なんだよねえ。
司馬遷が名君扱いしてる文帝や恵帝も万里の長城を補修してるけどそっちは否定していない。
楊家将の楊業の紹介も見てみたいです。
9:28 常紋トンネル:.......
つい100年前、日本での出来事。人間は理では測りきれないところがありますよね。
(人)資源の囲い込みの意味合いも強かったんだろうと思った
後漢時代で顕著になった北方民族の定住ですがおそらく昔から行われていた可能性が高い
こんな長城を建設できるのは、石材が豊富な大陸ならではですよね。日本だとそんなに確保できないので、石垣に古墳の石棺を再利用したりしていましたから。
第2回十字軍では、エジプトに攻めてきた十字軍を、イスラム側の王サラディンはピラミッドの石を一部使って城壁造ってますよ。
@@FREEDOM-vv3wu まあ、それは敵が目の前に迫っていたら死に物狂いになるでしょうからね…ローマのコロッセオも石材場のように扱われていた時期があったそうですし。
後世の人間からすれば「何てことを!」と言いたくなりますがね。
八ヶ岳連峰の八竜長城も、遊牧騎馬民族の侵略を想定して建築された可能性が微レ存.....?
のっけから「???」でしたが、気付いた瞬間に「ベンリィかあっ!」と声に出してしまった。
芸が細かい!
キングダムの雁門が意外と内側だった
版築工法でも2000年残るの凄い
いくら造っても、戎狄は超えてくるという。まさにいたちごっこ。
最近、万里の長城を重機で勝手に破壊して道路を作った男女が逮捕されましたね
中国の長城の主旨は新領土獲得の為の長城なのですね…
すると現在イメージされる「外敵からの領土防衛」に主眼を置いた長城はむしろローマ帝国以来の欧州で作られたものの方が近いのかも知れませんね(ブリテンのハドリアヌス帝の壁を始めとしたリーメスとかペロポネソス半島のヘキサミリオンの壁とか)
それこそテオドシウスの城壁とかね
千年に渡ってコンスタンティノポリスを護り続け、15世紀に入っても一回オスマン朝を退けた上に、1453の帝都陥落の際も所謂オスマン艦隊の山越えが要因で城壁自体が破られた訳ではないという…
@@Michaelviii288 この前、度重なる自己研鑽の後の賢者の刻にテオドシウスの城壁調べてたんやが、所謂ビザンツ帝国が城門の鍵の閉め忘れで滅んだ説は、どの城門か特定出来てない上に資料での言及が極端に少なくて作り話説まであるらしいな
@@ヨーク公リチャードプランタジネット 賢 者 の 刻 ()
個人的には金角湾からGoはどちらかというと4回十字軍、ラテン帝国建国時の時のイメージが強かったですね…
小門の件、トルコ語wikiには旗立てた人の名前まで書いてある(勿論伝説として)んですよね。真実如何に関わらず人気な逸話として(「薔薇」戦争と同じ様に)残っていくのでしょうね…
ちなみに市壁は中国の方が寧ろ盛んまであるので敢えて除外していたりして。西安とか凄いですから
@@Michaelviii288オスマン トルコは大砲でコンスタンティノープルを占領しました. 皮肉なことに、明王朝はオランダ人が導入した大砲を満州人を守るために使用しましたが、ウーシャンギが清王朝に降伏したとき、彼は満州人に城池を攻撃するための大砲技術を与えました.
まさか21世紀に入って内側から破壊されるとは思わんかった
「秦を滅ぼす者は胡ならん」
これを聞いた始皇帝は万里の長城の増築と強化を命じた。
「始皇死して地分かれん」
これを聞いた始皇帝は、秦帝国の繁栄を永遠の物にする為に不老不死を望んだ。
始皇帝が不老不死を願っていると知った徐福は「ならば、私が仙人の住む蓬莱に行って不老不死の薬を手に入れて来ましょう」と言って、宝物と作物(米を含む)の種子と少年少女(およそ千人)と豪華な船を騙し取った。
宇宙から見える唯一の人工物というロマンを信じていたので、そうではないという真実はわりとショックだった。しかし、中枢地域を固めるためのものだったという説はそのショックを超える興味深さがあった。それはさておき、冒頭の顔写真は海江田万里氏か、あいかわらず、ひねりが効きすぎている
一番乗り。現在の万里の長城は明代のもので、秦代のものより大分南に位置するし、サイズも短い感がある。廃止しなかったのだからモンゴルや女真族を防ぐためにある程度は機能しただろうが、コストも馬鹿にならなかったことも大きな原因の一つだろう。
「長城」は、欧州の言語では、英語のGreat Wallなどのように「大きな壁」や、ラテン語のMurus Sinicusなどのように「中国の壁」を意味する名前で呼ばれる。
一方で、モンゴル語と満洲語では「長城」は、「白い壁」を意味する名前で呼ばれる。
欧州の言語における「長城」の呼び名は、「長城」が中国を象徴する大きな壁であることに由来するのだが、モンゴル語と満洲語における「白い壁」という呼び名の由来は、何だろう。
遊牧民が城壁を突破できないことを利用して気づかせたのは分かるけど…、実際かなり突破されているだろうな。特にチンギスハーン以降はエセンハーンやアルタンハーン何かが長城を突破してるし…。
特に清王朝の頃はモンゴル高原を丸ごと支配したから、長城が整備されなくなったと聞くし…。でも今日観光地として栄えているから、やっぱり役に立っているはずだ!
0:22 因みにgoogleで拡大すれば(何とか)見えるから、ギリギリ宇宙から見えるという表現は正しい!
明代の長城である八達嶺と山海関を1988年に訪れたことがある。
斉の長城が領内に入り込んでいるのは、建造開始当時の国境に沿っているからではないでしょうか。
完成時には孫臏の活躍もあってか南部へ拡張したものの、建造を始める200年前は羊頭狗肉で知られる霊公の統治下にあった斉は晋と諸侯連合にフルボッコにされ臨淄陥落寸前まで追い込まれています。
今回も動画を閲覧した者です。
今回は、中国の歴史の定番である【万里の長城】ですね。
平成3年にTBSで放送されたドキュメンタリー番組【萬里の長城】で、旅人である俳優の緒形拳さんが明代を中心に解説していましたが、今回の動画では近年の学説を中心に解説していたところは、とても勉強になりました。
春秋・戦国時代の長城が単に守るだけの防御ではなく、長城を起点として隣国への進攻という積極的防御として利用していた点は、面白く視聴しました。
あと【孟姜女】伝説が、秦ではなく斉の話だったところは、驚きました。
あの伝説、秦の話で通説になっており、【萬里の長城】でもその様に解説していたので、今回の解説は自分にとっては、パラダイムシフトでした。
しかし長城建設は莫大なコストが掛かり、これが各王朝にとっては負担であったと思いますが、それだけ北方の遊牧騎馬民族が脅威であったことを、今に伝えているのではないでしょうか。
今は全体の9割が破損し、1割が観光地【或いは復元中】となっている状態ですが、一度でも良いので、見に行きたいものですね。
まだまだ寒い時期ですが、投稿者さんにおかれましては、健康とメンタルに気をつけていただければ、幸いです。
話が長くなりましたので、ここで筆を置きます。
万里の長城…勉強になります。
「『万里の長城』は役に立ったのぉ~?」は「一応…明清攻防戦で役に立ったから」と言えますが、欧州版『万里の長城』=マジノラインは全く役立ってないです(汗
しかも砲撃に耐える様に“メッチャ頑丈”に作った為、戦後解体もままならず“観光地”となっているとか。
…この“観光地”化は東西『同じオチ』だった様で(汗
孟姜女の話は李白の詩にも詠われていますね。結末を知るとなおさら悲しい
秦の時代は今よりも暖かかったのかな?
孟姜女の話は、前550年に斉の大夫、杞梁が戦死した知らせを聞いて、妻の孟姜が嘆き悲しんだ話を改編したもので、まるで関係ないです。杞梁は、『東周英雄伝』の壮絶三勇士の一人です。杞梁の墓は長らく存在したのですが、1967年(恐らく文革)に更地にされました。
鳥人間さんのマニアック解説にニヤニヤしながら聴き通しました
ひだりうちつたう で吹いた
インディージョーンズの元ネタこれだったんか勉強になる
異民族との戦いの歴史も語って欲しいですね
秦の長城は騎馬民族に対して自軍が敗れた時に追撃されない為の馬防柵や拒馬の役目なのかしら?
oqu
孟姜女の話、「孟も姜も姓であって名前じゃねーだろ。ちゃんと考えて設定したのか(意訳」という的確なツッコミを見たことあります。
すばらしい。
Googleアースだと
どんな感じかな
迂闊にも初恋の人実家は見に行ったのに万里の長城に行くの忘れてた
ちょっと見に行って来ます
私が疑問なのは、悲惨な労働者の伝説が残る秦の長上よりはるかに堅牢で立派である明代の長上建設について、
その労働環境が悲惨であったという話をあまり聞かないことです。
明朝は労働者や刑徒を酷使しなくとも土木工事を行うシステムが完成していたのでしょうか??
明朝の長城についても動画で取り上げてほしいです!!
此の万里の長城は突厥が攻めて来るのを楊堅が見て、万里の長城の防御を強化したと言ってました。
やっぱ秦の始皇帝って良くも悪くも偉大だったんだなぁ…遷ちゃんの言うこともよく分かるけども、隋の大運河みたいに中国史上の偉業であるのもまた事実
劉某さん「ファッ‼︎‼︎ワイの統万城の強度はガバガバだった…⁇??」
「宇宙から観測される唯一の人工物」というのは本当なんだろうか
普通に観測できないと思う
うおおおおー。これがあの・・李牧の長城か🐻
観光地化された明代の八達嶺よりも、斉、楚、秦漢時代の長城の方がリアルで趣もあっていいです、見てみたいですなぁ。まぁ、習王朝に行くつもりはないですが。
9:15 赫連勃勃「えっ」
いつか万里の長城を観に行きたいです
こんなに長城があるという事はどんだけ戦乱が多かったかゆうことですよね
モーキョージョみたいな例も全然珍しくなさそう
しゅんじゅうひだりうじつたう派はかしこいな
加えて戎狄、夷狄(じゅうてき、いてき。異民族の事)からの侵略も防がなくてはならないのでまさに四面楚歌?な時代でもありますよ。
要塞線と言うよりは警戒線(ピケットライン)というか国境警備隊の詰所を線で繋いだものみたいな印象の方が正しいと思うんだよね
おおよそ長城システムというものは狼煙が視認できる間隔(3キロくらい)ごとに兵士十人くらいが詰められる小さい砦があって、敵が来ると狼煙で両隣の砦に伝えるというもの。武帝期には4000キロ以上もそんな通信ラインがわけだから凄いよね。
んできっと長城線だけでは機能しなくて、スパイとか外交ルートとか商人の情報とか騎馬偵察を合わせた複合警戒・防御システムだったんだろうなぁ
ふと思うけど望遠鏡(14世紀)とか腕木通信(18世紀)とかが長城システムに導入されてたらどうなってたんだろうね?少なくとも砦の間隔は広くなって効率的に防衛ができたんではなかろうか、なんてね
実際のところ長城は北方騎馬民族に対して軍事的に効果を発揮したのでしょうか?
敵は馬を大量に保有しているので万里のどこへも移動でき、防備の薄い地点を一点集中で突破するのは簡単だと思います。
破壊した壁から馬を通す間に中国側がそれを包囲するだけの軍を集結できるとは到底思えないので、結局国土を荒らされるのは避けられないのでは?
長城の東は山海関と呼ばれる。
華北と満州を分ける所。
この東の満州に展開したから関東軍と呼ばれる。
楽毅「こんな要塞な、迂回するんやで」
ヒトラー「そりゃそうだな」
乃木「お前ら楽でいいな」
気になって調べたら名字に長城(ながき、ながしろ)ってあるんだね。
名前が万理(まり・ばんり)だったらいじられまくるだろうな。
魔理沙さんを見ていたら、中華料理食べたくなってきた…。
9:20 赫連勃勃の統万城...
秦の時代の万里の長城は盛り土みたいなものだと世界史の授業で習ったな🤔
万里の長城には、農民の逃散を防ぐ意味合いもあったと、蒋介石のアドバイザーのオーウェンラティモアが書いていた気がします。南方の雲南にも長城があるみたいです
なんか現代の国防問題にも通ずるところがある話ですね。
モンゴルや女真族からの防衛に対してどう上手く機能していたかも掘り下げてほしかった。朝鮮をあっさり屈服させた女真族が正攻法では破れなかったというのに>万里の長城
明と清の最初の方では役に立っていたんだよなあ😅
あと実際に万里の長城に行った事あるけど
あんな急峻な山々にあの規模の大要塞線作った中国の技術力と底力は物凄いと思った😄
唐とか宋とか出自が異民族っぽい王朝、元とか清とかガチの異民族王朝は、長城を作らないんだな。
(金は作ってたみたいだけど、モンゴルの脅威がシャレにならなかったからだろう。)
鮮卑族の北魏も長城を築いています。
また宋の場合は五代の後晋が後唐を倒す為に契丹から援軍してもらう見返りに現代の北京付近の燕雲十六州を割譲したせいで、長城線が建国当初から契丹の支配下にあったので作りようがありませんでした。
万里の長城の番組がNHKで放送していたなロングランシリーズで
中国各地で撮影をしていた
万里の長城
3910円
シャトルバス
ケーブルカー
ポストカードチケット込み
結構早く閉まるみたいだな
「辺境」と「本土」を分ける、というか、「内側の世界」と「外側の世界」を分ける観念的な境界線の実体化が長城なのだろうか、と思った
中国における「城」に関しても、その内部に都市圏を含んでいるわけだから、それはつまり「都市(日常世界)」と「辺境(非日常世界)」を区別する境界線として機能していたのではなかろうか、となると長城というのはその観念を中国全土にまで広げ、中国を「本土(日常世界)」と「辺境(非日常世界、しばしば異民族や外国との接触がある)」に分けるものであったのかな、と
万里の長城は古代中国の壮大さを体現している
野末陳平が著作・姓名判断の中で、始皇帝が「秦を滅ぼすは胡ならんか」という占いの為に長城を作ったけど、胡とは子供の胡亥のことだったと書いてたな。